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国民性の相違

韓国の観光船という名の貨物船が沈没してから今日で何日が過ぎたでしょうか。
日に日にこの事故の悲惨さが大きくなっています。
最近になってちらほらと見聞きすることですが、この事故を通してはっきりしたことがあります。
それは、韓国と日本の国民性の相違点です。
韓国人は自己主張ははっきりしますが何かと自己中心的な面が目立ちます。それに比べて日本人は自己主張は苦手ですが責任は果たそうとします。
今回の事故では、船長以下乗組員が客である高校生たちに“自分たちの脱出がばれないようにするため、ジャマされないようにするため”に自分たちはトランシーバーでやりとりしながら艦内放送では「その場で待機」するように言いました。そして船長が救助される映像を見るともう呆れてものも言えません。あの時点でなら生徒たちは全員脱出できたでしょうに。
仮に、これが日本人なら。
おそらく自分を犠牲にして生徒たちを脱出させようとするでしょうね。例えば船には全く素人の私が船員であっても、船員である以上自分の命はもう仕方ない、と腹をくくって救助を選択します。東北の震災ではそのようなエピソードがたくさん出てきました。

みんながちょっとずつ我慢すれば、それだけ多くの人が助かったはずです。
様々な場面で“国民性の相違”について語られることがありますが、漠然とでも今回ほど多くの人がこのことを考えることはないのではないでしょうか。
相手の国のことをバッシングするだけでは何も産まれません。
今後、このような事故が二度と起こらないことを願うのはもちろんですが、それ以上にこの教訓を生かすことが大切ですね。



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教師が自分の子どもの入学式のために休むことについて。

先日、高校教師が自身の子どもの入学式のために職場の入学式を欠席したことがあちこちで取り上げられていました。この件については本当に賛否両論で、挙句の果てには「女性が子育てと仕事を両立することが難しくなってしまう」等見当はずれな意見まで出ていました。

私個人としては、たった一点を除けば賛成です。
その一点とは「職場の学校に入学してくる(自分が担任をする)生徒たちの親が全員出席しているのか」ということです。

通常、自己都合で会社を欠勤する際他人に迷惑がかからないように予め準備をしてから休みます。これは皆当然のこととして行っていることですよね。もし自分以外に代わりが見つからず、あるいは自分にしかできない仕事があるなら休むべきではありません。
学校では、入学式は教師にとって生徒や親との初対面の場であり、得られる情報がもっとも多いタイミングです。ですから、この日を欠勤するということはこの入学式に出た場合と同じだけの情報を事前に得ている必要があります。そして、一人でも親が出席できない生徒がいるなら教師は休むべきではありません。もしこの問題となった入学式で親が出席できない生徒がいたのだとしたら、この教師は教師として失格ですし、教師を即刻辞めるべきです。果たして、この教師は生徒の家を一件ずつ訪問するなりして事前に欠勤しても問題ないように準備をしていたのでしょうか。副担任が滞りなく対応して入学式を終えたとのことですが、それならそもそもその担任は必要なかったのでは?「少ない少ない」と言われる教師、実は最近の地方では少子化と学校の統廃合で多すぎるくらいなんですよ。
また、この件では欠勤を許可した校長の責任が一切問われていません。つまり、こういったことがこれまでもあったということです。

このように、この教師が事前に担任となる生徒と親に事前に会うなり電話するなりして入学式に出席した場合と同じだけの情報を得て、その上で生徒の親が一人も欠席しない状況でなら、自分の子どもの入学式に出席するために職場を欠勤しても良いと思います。
あるいは、もう一つの解決策として卒・入学式に親は出席しないことにするのも良いと思います。

学校のことを一般の民間の会社とは違う職場のようなイメージや認識を持つ人が多いのですが、それは大きな間違いです。もちろん、あらゆる可能性を持った子どもたちを育てる大切な場所という意味では、大人ばかりが集まる会社とは違いますが、社会人の勤務先としては企業と何ら変わりありません。むしろ、子ども達の見本になるべき大人の集まりでなくてはならないと言えるでしょう。ですから、よく聞く「先生って大変な仕事だものね」という言葉はおかしいのです。もちろん大変ではありますが、では工場で働くのは大変ではないのか?個人事業主はどうなのか?という話になってしまうのです。
「学校」という職場と「教師」という仕事、どちらも一般の社会とかなりずれた職場となっていることにいい加減気づかなければ、どんどんゆがんでいってしまうのではないかと危惧しています。



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調査捕鯨禁止と食文化の喪失は無関係

先日、日本の調査捕鯨について国際司法裁判所(ICJ)が、南極海で日本が行っている調査捕鯨は科学的な調査とは認めらないとの判断を示しました。
それに対して日本(メディア)の反応はというと・・・

「日本の食文化がなくなってしまう」
「鯨大好きなのですが・・・」  
「戦後の食糧難の際にずいぶん助けられたのに・・・・」   等々

おかしくないですか?
“調査捕鯨禁止”に対しての感想を求められているのになぜ食文化が関係あるのでしょうか?
戦後の食糧難時には確かに助けられたとしても、やはり捕鯨禁止とは関係ありません。
日本が掲げている捕鯨はあくまで「調査目的」のはず。食文化がどうのということとは関係ないのです。
しかし、このような反応だから「ほらみろ。調査捕鯨ではなく商業目的ではないか」と世界に言われてしまうのです。

そもそも、鯨は日本の食文化にそれほど根付いているものでしょうか?
私自身、子どもの頃まで遡っても食したと記憶しているのは一度だけ。それを不満とも疑問とも思ったことはありません。また、それよりは食したことのある回数は多くても、うなぎほど日常的に食しているという人はごく一部の人に限られています。それを「食文化」と言えるのでしょうか。

さらに、今後日本がこの判決を遵守しなかった場合、尖閣諸島問題や竹島問題に際して誰も味方をしてくれなくなります。「日本は判決に従わないじゃないか」と。

「商業」をカモフラージュした調査捕鯨、そろそろ限界に来ています。
日本の将来を考えるなら捕鯨調査は即刻中止すべきです。
                 


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山村福ノ助

Author:山村福ノ助
社会福祉士・精神保健福祉士有資格。現場から少し離れたことによっていろいろなことが見えてきました。

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