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現状でベストを尽くすしかないのです。

最近、円安のためにガソリン等の必需品が高騰して・・・と取り上げられます。
でも、つい最近まで円高で困る、と取り上げられていました。
民主党政権末期、M&Aを推進せよ、とのことでたった(たぶん)7社が動きましたが、たった7社の動きで某大国のいわゆる政府系企業があわてて円を売りました。
それだけ日本の円高は武器になるということです。
経済にははっきりいって疎い私ですが、そのくらいのことは分かります。
ただ、M&Aは目立ちすぎますよね。
以前から思っていたのですが、円高で困る困る、と言っている間にとっとと資源を買い占めれば良いのです。資源大国と提携していけばよかったのです。

少し話はずれますが、増税のタイミングについても、景気が良いときに増税すると言うと「こんなに景気が良いときに増税なんかすると国民が買い控える」と言い、景気が悪いときに増税すると言うと「こんなに不景気なのに増税なんかしたら国民の負担が増えて大変だ」と言う。でも増税が必要なのは分かっている。じゃあいつならいいの?というわけです。

円高が困る、円安も困る。
増税のタイミングは景気が良くても悪くても困る。
おかしな意見です。

先々のことを考え、予想して動くことはもちろん大切なことです。
しかし、必ずしもその予想が当たるとは限らず、むしろ思いもかけない状況になることも多い社会です。
いかにしてこの状況でプラスを生むか。
国益にもっていくか。
常にこのことを最優先で考えることこそ政治家、もっと言うと官僚の役割だと思うのですが・・・

ちなみに、私は経済についての議論はできませんのであしからず。



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体罰問題への個人的見解

大阪市の高校の部活における監督による体罰問題に端を発して、今スポーツ界の体罰が問題になっています。
体罰なのか、指導なのか、その線引きは難しいところです。個々の価値観にもよりますし。
ちなみに私は体罰容認派です。ただし、平手打ちなら1回まで。暴言や蹴り等は暴力です。あくまで私個人の基準ですのであしからず。
実際、高校の体罰問題でも、他の(同じ部の)生徒&親にも容認派がいますし、柔道の園田前監督についても擁護する声が上がっています。しかしながら、指導の中で「死ね」とか複数回の平手打ちとか、どう考えても不必要です。あるテレビ番組で、体罰に関するアンケートの中に「高校時代の部活で監督からの体罰がつらくて本当に嫌だった。しかし相談に乗ってもらったりしてお世話になり、結婚式のスピーチまでしていただいた」(ちょっと違うかも)というような内容のものがありました。一見素敵な師弟関係(?)のようにも感じますが、違います。この投稿者にとって良い思い出になっているところに水を挿すようで申し訳ないのですが、関係が改善(多少語弊があるかもしれません)したのは相談に乗ってもらったりしたからであって、体罰を通して築いた関係ではないのです。
女子柔道の問題についても、蹴られたり「死ね」と言われたりして、選手がそれを糧に技に磨きがかかったり強くなれたと認識できたのならそれは必要な指導の一つだったと言えるかもしれませんが、少なくともそう思っていないから訴えたのです。たしかに世界の強豪国ではおそらく日本で言う体罰は日常でしょう。前述の通り私は体罰容認派ですので、強くなるためにはある程度の体罰も必要だと思っています。しかし、とくに柔道についてはそもそもスポーツではなく武道ですので、陸上などのスポーツとは違いました。武道だった時代は、たとえ師匠から受けた技で身体に傷を負っても師匠をうらむことはなく、自分が弱いからだとさらに稽古を積んだのです。しかし、現在はスポーツとして位置づけたために従来の体罰を体罰と思わない指導方法では“スポーツ”のトレーニングとしては時代錯誤ととらえられてしまう。つまり、これまでの一連の流れを見る限り、今の日本には体罰はなじまないのでしょう。オリンピックが近くなると、世界の強豪国の各競技における練習風景などの特集がありますが、結構「え?そんなことまでするの?大丈夫なの?」と思ってしまうような非常に厳しいトレーニングを課しています。あらゆる競技に日本ほど大勢の選手を送り込む国はないのに、メダルの数は悲しいほど少ないことからも、トレーニングや意識にものすごい差があるのでしょうね。でも、それはそれで日本らしいのかな、とも思うのです。争いごとは苦手で、できればみんな仲良くしたい。日本人らしいかな、と。
たとえば、某大国では、スポーツでも勉強でも何かに秀でていればそれ以外の何もできなくても賞賛を浴びます。だからそれしかできない、知らない、視野の狭い非常に偏った大人に成長します。その結果、うまくいかなくなると薬物に走る傾向が高いのです。たしかに何かに秀でている場合、それを伸ばすことは大賛成ですし、何も勉強だけが全てではありません。ただ、大切なのはその能力を伸ばすのと並行して社会性を身につけさせなければいけないということです。
何事もほどほどが一番、とよく言いますが、それが日本人らしくて良いのかな、と最近は思います。



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体罰問題と暴行事件

最近は教育にとどまらずスポーツ界全体に体罰問題が波及して、大変なことになっています。
とりあえず先日の大阪の高校のバスケット部の顧問の件。市長も会見で述べていた通り「暴行事件」です。このときの会見では高校入試は見送りということでしたが結局は体育系学科の定員分を振り替えて実施するとのこと。入試中止について、当初はOB等からも「生徒には関係ない」ということで苦情(?)が相次ぎました。
教育現場関連の事件や問題でよく耳にするこの「生徒には関係ない」という言葉。
例えば、ある町に1件しかない飲食店が保健所の検査に引っかかって1ヶ月の営業停止処分を受けたとします。近隣住民は「ここしかないんだから営業しないなんて困るよ。原因になってない食材とかで営業してよ」と言ったら、通用するのでしょうか。当然ですが通用しません。その飲食店が不正をしたり義務を怠ったのが悪いのです。
企業は、その規模が大きいほど社会的責任も大きくなります。影響を与える人数が多いほど責任が大きくなるのは当然のことです。ですから、不正や問題が起これば相応の処罰を受けなくてはなりません。
では学校は?
学校に社会的責任はないのでしょうか。今までも何度も書いてきたことですが、学校こそ未来を担う若者を育てる非常に重要な機関です。ということは、社会的責任はある意味では大企業よりも大きいと言えます。そこで教育を受けた人たちが選択して働くのですから。つまり、学校と言えど、問題を起こせばそれ相応の処罰を受けなければならないということです。たしかに生徒に罪はありません。だからこそ、学校と言う組織がしっかりしなくてはいけないのです。それができないならその学校を運営する教職員はその資格がないということになります。テレビに出てくるコメンテーターの中に、「先生は大勢の生徒たちに対してたった一人の大人だから、どうしても上から見てしまう。だからもっと先生同士でコミュニケーションをとって、情報を交換したりしなければいけない」というようなことを言っていました。しかし、残念ながら大学卒業してすぐに教育現場に入った何の社会経験もない人たちのコミュニケーションで、何が得られるでしょう。コミュニケーションのとり方が分からなくてスクールに通う教師も少なくないという状況です。もっともっと様々な分野を経験した人を導入して、視野を広く、教師自身も様々な経験をするべきだと思います。何事にも言えることですが、少し教育現場から距離を置くだけで本当に様々なことが見えてきます。社会の評価も含めて。今は何が足りなくて何がいらないのか。何がおかしいのか。今社会は、もっというと世界はどう動いているのか。外から見ることができれば、自ずと教育のあり方も変わっていくのではないでしょうか。



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山村福ノ助

Author:山村福ノ助
社会福祉士・精神保健福祉士有資格。現場から少し離れたことによっていろいろなことが見えてきました。

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