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自転車専用道路

こんばんわ。

今日も天気の良い1日でした。

最近、自転車をよく使うようになってから、「自転車専用道路」の存在をとても意識するようになりました。ありがたい存在ですよね。

ただ、私の住む地域ではまだまだ自転車専用道路が整備されている場所が少ないのが現状です。

先日、仕事で名古屋へ行きました。その時、あまりの道路の広さに驚きました。
片道2車線の道路に対してしっかり自転車専用道路があります。そして歩道もまた自動車がすれ違えるほどの広い幅!
今までも毎年名古屋へ行っているのですが、そんなところを意識したことがなかったので全く気づきませんでした。

エコ生活が推進されるこの時代、毎年毎年同じ場所ばかり修復する公共事業、それくらいならもっともっと自転車専用道路を整備して自転車生活を推進した方がよっぽど地球のため、国民の健康のためになると思うのですが・・・


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私の実習体験③・・・疑問をもつこと。

こんばんわ。

今日は良い天気でした。
最近、運動不足解消のため、できるだけ機会を作っては自転車に乗るようにしています。
そのせいか、良く食べるようになってしまって・・・・
運動不足は多少改善されても、体重増えるのはちょっと、なんですよね(笑)

「私の実習体験③」です。

初めての実習(特別養護老人ホーム)では、私の実習が開始した時点で他の専門学校から介護福祉士の実習に2名の学生が来ていました。彼女たちはもともと介護技術を学ぶために来ているわけですから良いのですが、相談援助実習が全くできていない私は・・・・とくに疑問を持たなかったのです。

今、自分が学生たちに指導していること、実習先へお願いしていることと比べると、本当に残念な実習でしたし、私自身残念な学生でした。
日々の生活の中で「なぜ?」と疑問を持ち、それを解決することはとても大切なことです。ましてや実習の中では自分自身の成長にとってもっとも大切なこととも言えます。それゆえに、私は普段から学生たちに「常に疑問を持ちなさい」と指導しているのですが・・・・
自分の学生時代を省みると、本当にもったいない時間を過ごしてしまいました。
ただ、この経験から、学生たちに伝えたいことが山ほどある、というのも事実です。
学生として、実習生としては評価できない私の過去ですが、それでも少しは役になっているということでしょうかね・・・・

そういえば、この初めての実習では序盤に38度の熱を出しました。それでも、次の実習(精神保健福祉援助実習)が控えていたのでなんとしても延期だけは避けたくて、必死でくらいついていました。
なのに、今の私といえば、学生に「無理するな」、「利用者に風邪を移してはいけない」と耳にたこが出来るくらい言っております
昔は今に比べるとずっと危機管理が甘い、という時代背景もあるのですが・・・・
実習の巡回指導の際に指導者ともよく話すことですが、立場が変わると自分の実習生時代を棚に上げてでも、いろいろと求めたくなってしまうものなのですね。

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最近の若者は・・・

こんばんわ。

今日は朝から雪です。とにかく冷えます。
しかも、ようやく晴れ間が出たと思ったら雷、土砂降り。
これで明日は晴れて気温も上昇、というのですから、本当に変な気候ですね。

私が初めて専門学校という教育の現場に足を踏み入れたとき、とても疑問に思っていたことがあります。
それは、学校が学生との連絡方法として携帯電話のメールを使用していたこと。
私の学生時代は、連絡は大学の掲示板に張り出されているものを自分で確認するものでした。どの講義を選択するか、単位は足りているか、試験の結果はどうか、出席日数は足りているか、卒業はできるか等々すべて自己責任です。
大学と専門学校では規模が違う、と言われてしまえばそれまでですが、それでも学生が欠席をする際にはその理由を事前に学校に電話やメールで連絡を入れるというシステムにはなかなか慣れませんでした。また、私の大学では学生に任せていた多くのことを、学校がいちいち介入するのです。すべて学生だけの運営に任せる、といった場面があまり記憶にありません。専門学校といっても規模が様々なので一概に比較はできませんが、そういうものなのでしょうか・・・・

ただ、結局のところ、そのうちに私自身が実習を担当するようになった関係で、現在では学生に連絡先を教えてもらい、私自身も携帯とアドレス(これは携帯ではありませんがいつでも確認できるもの)を伝えてあります。

メールって・・・・便利ですよね(笑)

こうして学生といつでも連絡を取れる状態にしたことで、とくに実習中はよく学生とメールでやり取りをしました。そこで気づいたことがあります。それは、その書き方、表現の仕方です。
よく(見るからに)若い子達のブログなんかで見かける言葉の使い方、書き方を私(つまり教員)宛てにも使う、ということ。

例えば  「先生ゎどうですか」 
     「ぁりがとうございます」

のような(使い方に一定のルールなどあるのですかね?)。

もちろん、友人同士のメールは知りませんが、少なくとも私にはいわゆる“普通”の書き方でメールをくれる学生もいます。

絵文字や顔文字は、それだけ親しく感じてくれているのかな、と好意的に見ているのですが、このような表現もそのひとつなのでしょうか。

最近の若者は・・・なんて、言いたくないのですが、つい思ってしまうのは、私は年をとった、ジェネレーションギャップ、ということなのでしょうか・・・・

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私の実習体験②・・・高齢者施設での恋愛

こんばんわ。

今日はとても良い天気でした。
花粉症の私にはつらい日でもありましたが・・・

実習体験の続きです。

生まれてはじめての実習。初めて内側から見る特別養護老人ホーム。選んだ種別が良くなかったのか、あるいは施設が悪かったのか、はたまた指導員が悪かったのか・・・・
とにかく、社会福祉士の実習だというのにひたすら介護業務を学んでいました。

その施設は認知症対応でした。というのも、精神科病院が隣接していたのです。
ある日、実習担当者と一緒に介護業務を行っていたとき、ちょうど目の前をぼーっと通り過ぎた男性利用者がいました。その様子を見た実習担当者は「○○さん、前はもっと元気だったのにね。薬でああなっちゃったんだよね」と言いました。私は何のことか分からず「薬ですか?」と思わず聞き返してしまいました。その方は、以前同じ施設に入所していた女性ととても仲が良くなり、居室をお互いに(男性が女性の居室を出入りしていたかも)出入りするようになったため、薬で意欲を低下させたんだそうです(指導者の表現の仕方は私の言葉に代えてあります)。つまり、大変な関係(?)になってはいけないので、薬を使って押さえつけたわけです。私は「お薬飲んででもそうしなくちゃいけないのでしょうか」と言うようなことを質問したと思います。これに対しては「まあ、私たち(当時は寮母)はあんまりそういうの言えないからね~」というお返事でした。「そうなのか・・・」と、それ以上は何も質問できなかったのですが・・・・
実は、その向精神薬を処方した精神科病院こそ、私の次の実習先なのでした。

高齢者の施設内の恋愛、難しいですよね。考え方はそれぞれだと思います。
私が学生時代にアルバイトをしていた養護老人ホームでは、(私がアルバイトをするずっと前に)1人の入居女性をめぐって三角関係になり、1人の男性が居室に火をつけ施設が火事になってしまった、という事件がありました。
人間、恋愛が絡むと周りが見えなくなるのは・・・・年齢は関係ないんですよね。かといって、施設へ入所されている方の場合は必ずしも独身とは限らないわけで・・・

恋愛感情は、生きがいにもなるしとても大切な“気持ち”。大切にしたいしして欲しい“気持ち”。でも状況や相手によるのも年齢に限った話ではありません。
本当に本当に難しいですよね。

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私の実習体験①・・・社会福祉士の専門性

こんばんわ。

「社会福祉への道のり」の続きです。

大学在学中に精神保健福祉士と精神障害者を知った私は・・・・とくに不安もなく実習を迎えました。
大学では、社会福祉士の実習が全2回で組まれており、精神保健福祉士の実習は精神科病院と社会復帰施設と2箇所で行うことになっておりました。
ダブル受験を目指すことになった私は、3年の夏休みに社会福祉士の実習で特別養護老人ホーム、その次の週に精神科病院での実習を行いました。
つまり、私の人生初の実習は特別養護老人ホームということになったのです。
現在私が担当する学生たちの実習ではあくまで「相談援助」の実習ですが、私が実習を行った頃は介護職員と同じことをしました。相談員である社会福祉士から最初に言われたことは、「社会福祉士は何でも屋。バスの送迎もする。あちこち動いているからほとんど一緒にいられない」ということ。「え、そうなの?」とは思いましたが、初めての実習でしたし「でもまあそんなもんなのかあ」と勝手に納得してしまいました。これがもし今の学生たちが実習先から言われたことなら、巡回指導でしっかりその指導者に対して話し合いを設けますけどね(笑)でも、今から10年以上前の、当時の社会福祉士の実習といえばそんなものでした。そういえば、この実習中、介護保険が始まる前だったので利用者の家族を対象にした制度の説明会が開催されていました。この説明会には・・・・参加させてもらえず、ひたすら利用者の介護をしていました。さらに、「もしうちの施設の就職を希望しても、今介護をやってる職員で社会福祉士持ってる人が(ポストが空くのを)待ってる状態だから、難しいと思うよ」とも言われました。就職する気は特になかったのですが・・・・
当時の社会福祉士には「社会福祉士を育てる」気もなかったのでしょうね。少なくともこの施設では。
おかげで実習日誌には毎日介護のことを書いておりました・・・・

現在も、正直言って社会福祉士の認知度は高くありません。道行く人に「社会福祉士ってどういう仕事をしているか知っていますか」と聞くと、おそらく10人中9人が「知らない」と答えるでしょう。でも保育士や介護福祉士のことは10人中10人が知っています。
10年も前なら、なおさらです。ただ、問題なのは当時の社会福祉士自身が現在のように自分の資格に専門性を感じていなかった、ということでしょうね。ひょっとしたら、このような経緯も社会福祉士の認知度がなかなか上がらない原因の一つなのかもしれません。

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日本が嫌いですか?

おはようございます。

以前から不思議に思っていたことがあります。
それは、他の国の人たちが自分の国が一番、と思っているのに対して、日本人は自分の国をよく言わない人が多いということです。
例えば、オバマ政権が誕生するとき、日本のある地域ではオバマ氏が大フィーバーでした。私にはよく理解できませんでしたが・・・だって他国の大統領ですよ?単に地名が同じだから応援して地域活性化につなげたいから、ということは分かりますが。
私が他国の政権が交代するときに考えることは「その国の大統領が誰になったら日本にどう影響するか」ということ。その上で、○○だったら交渉が楽になるのに、とか××だったら強攻策でくるだろうな、とか思うことはあります。でもそれはあくまで日本にとって誰がメリットで誰がデメリットかということ。なぜなら、私は日本人で、もっと日本が良い国になって欲しいから。

外国へ留学したり遊びに行った時、他国の人たちは「いい国だったけどやっぱり自分の国が一番だよ」と言いますが日本人は「あのまま住みたかった」と言う人がいます。じゃあ住んでしまえばいいのに、とそのたびに思います。ちなみに、私の場合は海外にあまり慣れていないせいもあっていつでも帰国したかったです(笑)

現在を含め、これまでの政権で様々な問題を抱え、解決できずにいるとすぐに「オバマだったらいいのに・・・」などという声を聞くことがあります。私もその時々の政権に必ずしも満足していませんが、それでも他国の大統領よりずっと日本人が良いです。他国の人々もそれぞれの国の政権に満足していない人が多いですが、やはり「野田がいい」とは言わないのです。

最近のアメリカは、自分の政権が危ういために米軍のグアム移転問題等日本に無理難題を押し付けてきています。それを突っぱねられない日本の弱さには正直私も辟易していますが、日本のためにもどうかはっきりと「NO」を突きつけて欲しいと日々願っています。

同じ日本人なのに、なぜこんなにも安易に他国の大統領を支持できるのでしょうか。
どれだけ真剣に自分の国のことを考え、理解し、行動できるか、ということはその国の民度にもつながることです。日本を住みやすい国にしていこうとせずに他の国を賞賛してばかりいるようでは、その民度はどんどん下がってしまいます。
自分が生まれ育って、どんなに否定してもお世話になっている国です。どうすればもっと良い国にしていくことができるのか、自分に何ができるのか、ということを真剣に考えていくことが今とくに求められていると思います。

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教育現場における動機付け

おはようございます。

何を始めるにも必ず「きっかけ」や「理由」があります。
自分が今熱中していること、続けていること、あるいは仕事についてもそうです。

たとえば、私は以前フルマラソンを趣味としていました。現在はひざを痛めてしまい軽いジョギングやウォーキング程度しかしていませんが。マラソンを始めたきっかけは、当時通っていたスポーツジムで運動が楽しくて仕方なかった時に偶然スタッフから「マラソンはされないんですか?」と声を掛けられたことです。ただ、これは本当にきっかけに過ぎず、ずーっと気にはなっていたのでその超えかけが後押しとなって「よし、始めてみよう!」という気持ちになりました。最初はジムにあるトレッドミル、近所のジョギング、ハーフマラソンへの参加、フルマラソンへの参加、と段階を得るうちにそれぞれの成果が「次はもっとがんばろう」「今度は○時間を切ってみたい」という動機付けになっていったのです。

この「動機付け」は、社会福祉の現場、援助過程においてとても大切なことの一つとされています。
そして、教育の現場でもとても大切なことだと思うのです。
私が子どもの頃、社会の授業の中で年間の祝日を覚える内容がありました。テストにも出た記憶があります。
でも担任の先生はそれぞれの祝日がどのような意味を持っているのか、なぜその日が祝日になっているのかをきちんと教えてくれませんでした。だからテストが終わったとたんにすっかり忘れてしまいました。結局大人になってから改めて自分で興味を持って初めてそれぞれの祝日の意味を知ったのです。
私の勤める専門学校では当然のことながら社会福祉士、精神保健福祉士の両国家資格合格を目指しています。そのためには決められた科目の決められた単位を取得し、実習にも行かなくてはいけません。
「国家試験を受けるから」、「国家試験に合格するため」に学校へ行き、実習に臨む。これはたしかにその通りです。
学校では、学生が授業や実習について不満を口にした時に「試験受けられなくなるよ」「合格したいんでしょう?」とよく言います。しかし、それだけでは学生は本当の意味で勉強には取り組むことはできないのです。仮にそれで無事に試験に合格できても、あっという間に勉強してきたことを忘れてしまいます。
大切なのは、なぜその学生自身が社会福祉に携わろうと思ったのか、なぜ様々な専門的知識を学び、実習が必要なのか、そして実習で自分が学んできたことの確認と新しい発見を通して現場の難しさと同時に楽しさをさらに学校での授業で確認する。このようなことの一つひとつを丁寧に自分自身で考えられるように促していくことが、教員には求められていると思っています。

単に「あれやれ」、「これやれ」と一方的に押し付けても学生を育てることはできません。
専門学校だけでなく、小学校・中学校・高校での教育にも言えることだと思います。
このようなことから、教育の現場では「動機付け」がとても大切なことなのです。

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「精神保健福祉士」を知る

こんばんわ。

私が大学在学中に精神保健福祉士の国家試験が始まりました。
大学はカリキュラム対応に必死です。
学生を第1回から国家試験に送り込んだ(間に合った)のはごくごく一部の大学だけでした。
私が第何回で受けたのか・・・・一応秘密にしておきましょう(笑)
とにかく、私はダブル受験を目指すことにしました。
ただ、そのときは精神保健福祉士がどういったものなのか、全く未知の存在でした。
講義を受けてもまだよく分からない・・・・
結局、しばらくして講義で「精神病院」(途中で「精神科病院」になった)という言葉が出てきて初めて「精神障害者って精神病の人たちだったのか」ということを知りました。知った後、どう思ったのかというと、「へー知らなかった」くらいです。やはり何も考えずに生活していた大学時代・・・

社会福祉士を知った経緯もそうですが、私の社会福祉の専門職を目指す過程というのは、本当にいい加減なものです。とても今の教え子たちには言えません(笑)

「精神保健福祉士」とは
1997年 「精神保健福祉士法」制定に基づいて誕生した国家資格。
精神障害者の社会復帰について相談援助を行う。
活動分野:精神科病院、障害者支援施設、精神保健福祉センター 等

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実習生には雑用ですか?

こんばんわ。

今年度、社会福祉士の相談援助実習を担当しました。
その中で、社会福祉協議会で実習を行った学生は3名でした。
「社会福祉協議会」といっても、それぞれのカラーがあります。
今回の実習では、この社会福祉協議会での実習がまさにそれでした。
今回お世話になった社会福祉協議会のうちの一箇所でのことですが、まず巡回訪問に応じていただけないのにはまいりました。正確には訪問そのものは問題ないのですが、指導者との面談がかなわなかったのです。これについてはどうにか後半は改善されたのですが・・・それから、実習生に対して実習内容の詳しい説明がない、雑用ばかりさせる、さらに雑用させておけばいい、と目の前で言う。
とにかく本当にひどかった。
一昔前の、実習生に1日中ビデオを見せていた福祉事務所での実習を彷彿とさせる内容でした。

実習先が様々な学校の実習生を比較するのと同様に、学校も各実習先を比較するものです。
現在は以前と異なり、相談援助実習については実習受入施設に一定の条件が課せられるようになりました。そして、それだけに、学校は今まで以上にしっかりと下準備をして学生を送り出すことが求められます。
ただ、いくらその施設が受け入れ条件をクリアしていても、いくら実習生が積極的に勉強しようとしても、その職場自体が「自分たち専門職の後輩を育てる」という同じ方向を向いていなければ「雑用をさせておけばいい」と思ってしまうんだなぁ、と改めて勉強になりました。

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ボランティアの意味

こんにちわ。

久しぶりに私の「社会福祉への道のり」の続きです。

大学在学中は、結局個人で老人ホームでの週1回ボランティアをしていたのと、知的障害者の作業所でのサークル活動を行っていました(当時はまだ支援費制度すらありませんでした)。

ただ、サークル活動にはあまり魅力を見出せず、いつの間にかほとんど活動に参加しなくなっていました。
そんなわけで、福祉活動の記憶というとボランティアで行った老人ホームでの利用者との会話くらいしかありません。唯一、サークル活動で印象に残っているのは、私が入学した時点ですでにOBだった方と作業所(サークル活動先に就職されていた)を利用されていた脳性まひの女性との手作り結婚式に参加したことくらいです。当時既に幽霊部員状態だったのになぜか招待状が届いたので、せっかくだからと友人と出席したのです。
結婚式では、新郎と新婦に「キッス!キッス」コールが始まり、2人はキスを・・・かなり強引に見える形でしたのでした。強引に見える、というのは、つまり女性の緊張が極限にまで達してしまい、体がこわばりどうにもこうにもコントロールできなくなってしまい、男性が腕を押さえつけるような形でキスをしたということです。お2人についてはその後新聞で育児の様子が取り上げられているのを拝見しました。お母さんが赤ちゃんを抱こうとすると落としてしまう危険性があるため、ほぼ毎日来ているボランティアやご主人が赤ちゃんの世話をしているとのことでした。記事には「自分で何でもしないのにできないのは悔しい」とありました。現在はどうされているか、全く知る由もありませんが・・・幸せに暮らしていると思いたいですね。

さて、すっかり結婚式の思い出にひたってしまったのですが、本題はそこではなくてボランティアのこと。
ボランティアとは本来「有志」を指します。有償とか無償とかは関係なく、というよりこんな概念を生み出したのは日本人です。ボランティアとは純粋に「有志」「自発性」を指すので、学校の授業で子どもが先生の質問に手を上げて答えるのも、アメリカの軍隊などもボランティアということになります。ただ、日本の場合はなぜかそこに「無償性」がないと、というように変わってしまいました。
最近で記憶にあるのが、安部元首相時代、大学入学の要件にボランティア活動を加える、というようなことを発言しました。その時「なぜ?」という疑問しかありませんでした。
私は、人に言われてやることほど身にならないものはないと思っています。勉強だってそうですよね。親に「勉強しなさい」と耳にタコが出来るほど言われてやるよりも、自分からさっさと済ませた方が時間もかからないし集中できます。それに効率も達成感も高い。
私がサークル活動が続かず自分で開拓したボランティアが卒業まで続いた理由もそこにあると思うのです。
実は、私が勤める学校でも何かというと学生にボランティアをさせています。しかし、学生自身が相談援助実習で“ボランティアの集い”などへ参加したときの感想は「自分とは全然違う。自分はどのボランティアでも『仕方ない』と思いながら活動しているが、実習で見た方々はとても熱心で意見も活発に交換していた。自分との違いに驚いた」というものでした。
学生の中には、私の学生時代のようにボランティア活動を行っていたり、福祉施設でアルバイトをしていたり、あるいは学校生活以外では福祉と関わることはなかったりと、本当に様々です。私個人の意見としては、その辺は自由でかまわないと思っています。
なぜなら、一部の学生に学校から言われて行ったボランティア活動等の積み重ねにより「自分はこんなに経験してきたのだから何でも分かっている。今さら指導される必要はない」と、自分の力を過信してしまっているケースもあるのです。
お恥ずかしながら、私が勤める学校では上司に社会福祉の専門家はおりません。そういった意味でも、何かにつけて一つひとつの意味を深く考えずに様々なことを決めているのが現状です。ならば、私がその役割を担えば良いのでは、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身はそこまでの立場にないのです。単なる一講師ですので。
ということで、せめて、私が担当する授業や学生との関わりの中で、ボランティアの本来の意味をはじめ、社会における様々な常識についても丁寧に伝えていければと、日々悪戦苦闘中しております。

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学生との距離のとり方

こんばんわ。

教員の学生との距離のとり方について。

学生と教員は絶対に友達にはなれません。
教員は学生に好かれる必要はありません。
学生にたとえあからさまに嫌われていることが分かっていてもそれを成績には絶対に反映させません。教員は嫌われるものです。
自分を慕ってくれる学生とそうでない学生がいても、常に公平でいます。
何が学生にとって必要か、大切なことなのか、ためになるのかを一番に考えます。
常に自分が学生にとってベストと思うことを行います。ただ、それが一方的な押し付けになってはいないか、ということはその都度熟慮します。

これが、私が普段から考えていることです。
ですが、人によって考え方はいろいろです。
ある人は、学生から呼び捨てにされてもそれが好かれている証拠とニコニコしていたり、またある人は何かと理由をつけては女子学生を下の名前で呼んだり、何かと学生の輪に入りたがったり・・・
教育の現場で(教育そのもの以外で)とても難しいのは、男性が女子学生と接することです。ましてそれが女子校ならなおさらですが、男性教員が女子学生に教えるということはとても難しいことです。同じように接しているつもりでも、Aさんには何もなくてBさんにはセクハラだととられてしまいます。ですが、その男性教員にはそれがなぜセクハラととられてしまったのか最後までわからないことの方が多いのが現状です。
そのようなことを避けるためにも、電車では満員でなくてもあえて両手でつり革につかまる方も多いですよね。

自分の行為が相手にきちんと伝わったか、どう伝わったのか、ということを常に意識し、考えなければなりません。つまり「振り返り」です。
「振り返り」は、相談援助の場面でよく言われることですが、そもそも生活のあらゆる場面でとても大切な作業だと思います。
これを社会福祉の教育の場では、学生にはもちろん繰り返し教えることですが、教員自身にも言えることなのです。教員という立場なら、「できていて当たり前」が大前提なのですが、実は全くできていない人も多く、「これで本当に相談援助職に従事していたのか」と疑問に思うことも多々あります。ただ、同じことを私も思われているかもしれないということは、常に頭に入れるようにしています。

もう一つの大切なこと、それは「自己覚知」。
学生相手の仕事が対人援助に当たるかは別として、やはりこの作業も生活のあらゆる場面でとても大切なことです。
そして、これもまた残念ながら出来ていない教員がいることも事実です。

何事にも言えることですが、他人にやれという以上は自分がまずやらなくてはいけませんね。
私自身も、肝に銘じます。

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反省点は・・・?

こんばんわ。

今日は来年度の精神保健福祉士援助実習の打ち合わせを行ってきました。
私の勤務する学校では、小規模のため2人の教員で担当しております。本当は1人でも可能なのですが、いろいろと事情があり2人で担当することになりました。

実習以外にも国家試験の対策についても話し合いを行ったのですが、どうも・・・今年度の反省点を次に生かす、ということをあまり考えていない、という印象を受けてしまいました。
というのは、話し合いの中で私が「これでは明らかに意味がないだろう」と思ったことでもそれを反省点としてとらえていないようなのです。何を反省するかはそれぞれですので、押し付けるつもりは全くないのですが、例えば「こういう部分がうまくいかなかったのでこれはやめようと思います」と言うと、「ああそうですか?あ、自分もできなかったのでやめていいと思います」といった感じ。
え?うまくいってないのに今度も続けようと思っていたのですか?と思いますよね。
これは話し合い全体を通じて同じでした。

温度差のある人間が行動を共にするということは口で言う以上に大変なことです。
それでも、企業に勤めている方に比べると、やはり学校と言う職場はとても特殊でして、企業では当たり前のように行われていることでも驚いたり知らなかったりするんですね。
そういう意味では、やはり学校に勤める人間は、もっと社会のことを知る必要があるし、経験する必要があるんだなあ、と日々感じております。

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転んでも助けてくれない!?

おはようございます。

先日、自分が住んでいる地域の福祉大会へ参加してきました。
参加者は地元の市民です。
社会福祉協議会主催の「地域助け合い事業」についての事業内容・利用状況の報告、参加への呼びかけが行われました。
事業内容の説明については協力会員による寸劇もあり、なかなか工夫されていたと思います。
ただ、どうしてもその中でひっかかったことがあります。それは、「協力員は介護士の資格を有してるわけではないため利用者の体に触ることは出来ない」ということ。このこと自体は理解できます。この事業はあくまで福祉自動車での医療機関等への移送か家事援助が基本ですから。問題は「絶対に体に触ってはいけない」ということ。
例えば、車椅子に座った際にめくりあがってしまった衣服をなおすのもルール違反。わざわざ有資格者を探さなければなりません。
これ、おかしくないですか?つまり、目の前に人がいるのに、車椅子から誤って転倒してしまっても「わたし資格がないから触れないんです」と言って利用者が血を流していても有資格者を探すのでしょうか。救急車を呼んだあとはただ見ているのでしょうか。

日本には法律があります。ですが、その前に『常識』があります。私は法律の専門家ではないのですが、法学部では法律を学ぶ前にまずその位置づけについて学ぶそうです。法律の前にまず常識が来るというのは日本の考え方。たとえば、目の前を歩いている人が携帯を落としてしまった。それを後ろを歩いていた人が拾って「これ、落ちましたよ」と声をかける。法律に基づいた考え方をするならば、落ちているものを拾ったその瞬間、その行為は「窃盗」に値します。拾った携帯をそのまま自分のバッグに入れてしまったらもちろん罪になりますが、それを「落としましたよ」と拾って渡す行為をだれも窃盗とは言いません。万が一その常識と常識がぶつかってしまった場合や常識では解決できない問題が生じた時に初めて法律の出番があるのです。

資格がないから介護をしてはいけない、ということなら理解できますが、ルールを設けないときりがないとはいえ、衣服を整えることすら禁止、というのは法律そのものを理解していないと思われても仕方のないルール設定です。あるいは、何か問題が起こったときの逃げ道の確保のためなのでしょうか・・・

地域たすけあい事業
有償ボランティアによる移送サービス、家事援助サービス

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生活保護について

おはようございます。

昨日の予算委員会で、自由民主党の片山さつき参議院議員の発言の中で外国人の生活保護の受給問題があげられました。

「生活保護期22年度で3.3兆円、仮試算で1200億円弱が外国人でその保護率は日本人の2~3倍、3分の2が朝鮮半島出身の方」とのこと。

国内の不正受給も後を絶たないというのに、外国人にまでこのような状態とは・・・
日本人としては、複雑な社会事情の背景から「3分の2が朝鮮半島出身」と聞くとつい身構えてしまいますが、きちんとその細かい実態を把握し、対策を考えていかなければいけないですね。

生活保護については私自身いろいろと思うところがあります。きっと、生活保護受給者に関わったことのある方なら誰でも1度くらいは「そうなの?」と疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。

最近、私自身の周りで起こった「そうなの?」という出来事をあげてみます。
(直接私が関わった例ではないので詳細についてのお答えはできません)
18歳の女性(Cさん)、高校時代必死にアルバイトをして貯金をしていました。父親はアルコール依存症、うつ病にて作業所へ通所しており、母親は軽度の知的障害者で父親と同じく作業所へ通所。いつしか父親が作業所へ通所しなくなり母親の作業所での収入と本人のアルバイト代が生活費。県営住宅。父親はお酒が手元にないとすぐに怒り出し、手を上げます。そして、Cさんが生活費を家に入れるのは当然、と怒ります。ある日、Cさんは「家にお金を入れるのがばかばかしくなった」と父親と大喧嘩をしました(だからといって家に入れなくなったわけではありません)。
Cさんは介護福祉士の専門学校への入学を目指して生活費を家に入れつつも必死で貯金し、入学費用の支払いが可能なほどになり、さらに学費は奨学金で通えることになりました。
しかし、やはり生活そのものは厳しく、(おそらく)主に母親に関わっている支援員が生活保護の申請を提案。福祉事務所へ出向いたところ、「娘さんの貯蓄があるのでまずは一人暮らしをして世帯を分離しないと無理」との回答でした。
たしかに生活保護法には「世帯単位の原則」があるので、Cさんに貯蓄があって働くことができるのだから一緒に生活していては受給は難しいという意見は理解できます。昔の私ならきっと「当然」と考えていたことでしょう。
でもちょっと考えてみると、それってどうなの?ということに気づきます。
Cさんは将来手に職を得るために自分で必死にお金を貯めていました。両親と一緒に生活をして生活保護を受給できないとなると、学校へ入学するための費用を生活費に回さなければなりません。学校へも行けません。でもこのまま学校へ入学・卒業すれば一家の立派な大黒柱になれます。しかも18歳ながら入学金・学費を自分で確保しているのです。
仮に、Cさんが一緒に両親と生活・通学(学費はかからない状態で)した状態で生活保護を受給できたとすれば、Cさんはアルバイトは続けると仮定して、「補足性の原則」にのっとってアルバイト代で足りない部分が支給されるでしょう。
これではいけませんかね?
Cさんは両親と一緒に生活するために、卒業すればほぼ確実に就職できる専門学校をあきらめるか、敷金をさらに貯めて一人暮らしをするか、選択を迫られ、結局一人暮らしを選びました。
さらにこの場合、うつ病というよりアルコール依存の問題の方があきらかに大きい父親への支援をもっと強化するべきだということは、明らかです。なぜなら、生活保護受給が開始されたあと、父親がその生活費をアルコールに回すことは明白なのですから。
生活保護を限界を超えてまで拒絶する国民がいる一方で、「ラッキー」と捉えて都合よく解釈する国民がいることもまた事実です。「無差別平等の原則」、最低生活を国の責務をもって保障するのが生活保護法ですが、単なるセーフティネットではなく、自分自身で生活を豊かにするためにはどのようなことが必要なのか、いかにそのための努力が大切かということまでしっかり受給者に伝え、またそのように制度を運用する必要もあるのではないでしょうか。

年金問題もまた同じことが言えますが、単に不満を主張するのではなく、国民一人一人がもっと真剣に日本という国のことを理解し、そのあり方を様々な角度から考えていく必要があると思います。
私たちの未来がかかっているですから。

外国人の生活保護受給について
1954年の厚生省社会局長通知「正当な理由で日本国内に住む外国籍の者に対しても、生活保護法を準用する」
→永住者、日本人の配偶者等、永住者の配偶者等、定住者などの日本国への定着性が認められる外国人に対して、予算措置という形で保護費の支給を実施。

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社会福祉士・精神保健福祉士国家試験合格発表

そういえば、昨日は社会福祉士・精神保健福祉士国家試験の合格発表の日でした。
私の職場では、今年度から初めて本格的に国家試験対策を行っておりました。まだやってない学校があるのか、と突込みが来そうですが・・・
そして、見事合格者が!!しかもダブル!!!
もちろん学生自身が一番がんばった結果なのですが、私の努力も少しは報われたでしょうかね

自己覚知

こんばんわ。
今日は久しぶりに10キロの道のりを自転車で移動しました。
走り初めて50メートルほどでいきなり疲れが・・・・・

さて、前回の続きです。
滑り止めの大学へ無事に合格した私(笑)は、とくにやりたいこともなく・・・・
スキー部へ入部してみました。が、もともと運動神経もスキーの経験もない私がスキー部なんて・・・・
半年もせず挫折しました。一つだけ、福祉関係のサークルへ入りました。
その後、あいかわらずやりたいこともなかった私。でも、運動部と福祉関係のサークルとの掛け持ちする友人や、福祉関係のサークルを自ら立ち上げたりする友人たちのことはかなりうらやましかった。自分が入部したサークルにいまいちなじめなかった私は、幽霊部員と化していた友人のツテで、かなり活動歴の長い福祉系サークルへの入部をしました。
だけどやっぱりなじめない・・・・結局そのサークルの活動には一度も参加しませんでした。
その後、私は、「ひょっとして私は他人と行動するのが苦手なのでは」ということに気づき始めます。そういえば、高校時代も仲間と一緒に何かを作ったりするのが苦手だったような・・・・
まさに「自己覚知」の第一歩でした。
当時の私が出した結論。
それは「自分で行動する」こと。
最初に入っていたサークル活動はなんとなく続けていましたが、基本的には自分で近くの老人ホームへ連絡をしてボランティア活動の依頼をしました。そして、偶然にもそのとき施設内に喫茶コーナーを設ける企画があり、そのお手伝いをさせていただくことになったのです。それ以後は、週に1回、施設内の喫茶コーナーの店員(?)をしておりました。ただ、近くの施設といっても山の中腹にあったので、まだ自転車通学だった私にはかなりハードな往復でした。もっとも、車を持つようになってからも時間があるときはあえて自転車で通ってましたけどね。

「自己覚知」とは・・・
援助者が他者と自分をも含めた状況(援助関係やその時々に起こっている事柄)を的確に理解し、対象者に相対できるようにありのままの自己に気づき受容すること。それは肯定的であれ否定的であれ自らの価値観,偏見,先入観,行動や反応パターン,パーソナリティなどのより深い自覚である。

あの時社会福祉はブームだった。

こんばんわ。

私がなぜ社会福祉の道を選んだのか、ということに少し触れたいと思います。

「祖母がアルツハイマー型認知症で、その介護をしていた母の姿をみて自分も何か手伝えたらと思ったから」

というと聞こえは良いのですが、実際には何も考えていませんでした。祖母がアルツハイマーで母が介護をしていたのは本当です。

当時社会福祉は一種のブームでした。
高校時代、クラスの何人かは福祉系大学へ進学しましたし、単に私もその1人だったのです。
私を含め、福祉系大学へ進学したクラスメイトの誰を見ても、とても以前から社会福祉という分野を志していたようには見えませんでした。
それでもいろいろと各地の福祉系大学のことを調べ、「社会福祉士」なる資格の存在を知りました。でも具体的にどのような仕事をするのか全く分かりません。ただ、「ああ、きっと社会福祉を専門的にやってる資格なんだな」程度です。でもこの資格、どうも合格率が低く、とても難しいらしい・・・ということにはなんとなく気づいていました。
ただ、もともと情報処理の専門学校にでも行けばいいかな、と思っていた私ですので、「大学へ行ってそんな難しい資格をとれたらかっこいいな~」と。仮にもし合格できなくても介護士になればいいや、と本当に安易に進路を決めてしまったのです。

今の私なら、そんな程度の思いで両親に負担かけてまで4年も行く必要ない!と言い切るところですが、両親は純粋に応援してくれました。
私は本当に本当に恵まれた環境に育っていたんですね。
そんなことに気づいたのも実はそれほど昔ではありません。
大学を卒業してもまだまだ大人には遠い私でした。

はじめまして。

はじめまして。

山村福ノ助と申します
社会福祉の専門資格を取得して早10年以上。
今までずっと考えてきたこと、疑問に思ってきたことなど、少しずつ綴っていこうと思います。
本当は、もっとずっと前にこのようなブログを始めようと思っていたのに、忙しさにかまけてあっという間に月日が流れてしまいました。
ブログと並行して社会福祉制度に関するホームページも作成していく予定です。
目指せ、年内!・・・・あれ、遅すぎ?

プロフィール

山村福ノ助

Author:山村福ノ助
社会福祉士・精神保健福祉士有資格。現場から少し離れたことによっていろいろなことが見えてきました。

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