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うざい大人がいなくなった結果

先日、長崎の原爆で被爆し語り部として活動している70代の男性に対し、横浜市立中学校からの修学旅行生のうち男子生徒5人から、「死に損ない」などと暴言を吐かれ、校長から謝罪をされたということがありました。

この文章だけ読めば、まあ最近ではある意味ありがちなケースともとれますが、実際には学校の対応はかなりひどいものでした。
まず、この男性はいくつかに分かれたグループのひとつを担当していたわけですが、あまりにもこのグループの生徒たちがうるさくてとても話せる状況ではなかったため近くにいた教師に静かにさせてほしいと依頼したところ「まあ、そのまま話してもらってかまいませんから」と言われ、仕方なく話し始めました。しかし、やはりとても話せるものではなく、少し離れたところにいた担任と思われる教師に改めて依頼したところ今度は完全無視。
こういった状況に対して校長に連絡をいれたところ「ああそれはすみませんでしたねえ」といったいかにも適当な謝罪。そこで、やむなく新聞社(?)へこういったことがあったと連絡したそうです。
学校側も、こうして公にされてしまったことで(仕方なく?)改めて謝罪という経緯に至ったようです。

誤解をおそれず言えば、そこまでするこの男性を正直“うざい”と思う人も多いでしょう。
しかし、本来なら親や教師こそが子どもにとってはうざい存在なのです。
いちいち声をかけられ心配され、「放っておいてくれ」と日々子どもは思っていても、それがいつものことであれば今回のような状況になっても中学生はこの男性の注意をむかついたりしなかったのではないでしょうか。

このケースから透けて見えるのは、校長と教師の普段の生徒への対応です。
おそらくどんなにうるさくても無視して授業をし、問題を起こす生徒には「あと1年だから」と事なかれ主義を通す。

教師は生徒に嫌われる存在で当然なのです。
それが今の教師には分からないのでしょうか。

そして、そういった“うざい”大人がいなくなった弊害が今回のケースということです。
ひょっとすると、このような状況がいじめの内容のエスカレートにもつながっているのかもしれません。



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駅伝は箱根だけではないのです。

お正月の楽しみはなんといっても駅伝です。
元旦~三日まで息つく暇がありませんね(笑)

こんなに楽しみにしていたお正月なのに・・・・
昨日は憤り、今日はがっかりすることが続いてしまいました。

まず昨日は山梨学院大学のオムワンバ選手が疲労骨折のため沿道へ倒れこんだ時の監督の対応です。
留学生が倒れこんで動けなくなるなんて、それだけでよっぽどのことということはすぐに分かります。彼らは自分が担っている役割をよく理解していて、しっかりその仕事をしようとします。だから、多少動けなくなる程度ではリタイヤしません。そんなオムワンバ選手に対し、監督は大会運営側が赤旗を揚げるまでリタイヤさせるジャッジができませんでした。その後のオムワンバ選手がどうなったのかは知る由はありませんが、もしあのまま無理に走らせていたら彼を壊してしまう危険性が大いにありました。しかも倒れこんだ時点は10キロにも達しておらず、歩いてゴールできても白たすきです。選手たちはもちろんこの箱根駅伝に向けて必死に練習を積んできたわけですが、それ以上に選手一人一人のその後の人生だって大切にする必要があります。留学生だから使い捨てとでも思っているのでしょうか?もし本当にそう思っているならこの監督はクズ以下です。以前法政大学の徳本選手がリタイヤしたとき、判断に時間がかかってしまったと監督が後で後悔していたのに・・・

そして今日がっかりしたのは駒澤大学の選手のコメントです。
「昨年1月3日の夜からずっと今日の駅伝にむけてトレーニングしてきた。出雲のことなんかまったく関係ない」というような内容です。
コメントした選手はとても真面目そうな選手だと思っていましたし、おそらく実際真面目なのだと思います。
しかし、そう言わせる空気や雰囲気がチームの中にあるのでしょう。そして、その根源はもちろん監督にあります。
箱根駅伝もそうですが、他のあらゆるマラソン大会や駅伝大会には各々主催者がいてボランティアがいて、少しでも大会を盛り上げよう、選手たちがスムーズに走れるようにしよう、と真剣に考えて運営しています。そういう人々の思いを全く無視して「そんな大会関係ない」とさらっと言ってしまうとは、本当に残念でがっかりです。それに、箱根駅伝は全国でもごく一部の大学にしかエントリーの権利がありません。他の地域の大学にとっては出雲駅伝が1年の目標ということもあるのです。そういう大学に対しても失礼極まりない発言。
せっかく応援していた気持ちも一気に冷めてしまいました。

箱根駅伝しか出場の意味がないのなら、今後一切出雲駅伝には出ないでいただきたいですね。

そう言われても反論できない状態をチームに作ってしまった責任を、この駅伝部監督は自覚すべきです。



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幼保一元化+義務化を!

今日の参院予算委員会で、日本維新の会の平沼赳夫氏が鈴木鎮一氏のスズキ・メソードや江戸時代の寺子屋等を例に幼児教育の重要性について話していました。平沼氏はバリバリの保守で私とは全く意見が異なるのですが、幼児教育が重要だということには同意見です。

私が子どもの頃は幼稚園は就学前の1年間だけ、それまでは母親たちが運営するサークルのようなものに通っていました。幼稚園も午前中だけです。当然字の読み書きは小学校に入ってから学びました。
しかし、今は違うんですね。
小学校に入るとほとんどの子どもが読み書きは出来ているので、幼稚園等に通っていない子どもとはスタートから差があります。だから必死に親が教えなくてはいけない。もし「俺の子どもは勉強なんかできなくたっていいんだ~。何もしなくても勝手に子は育つ!」等という持論を持つようなちゃらんぽらんな親を持つ子どもの場合は私の子ども時代と同じスタートということになります(私の両親がちゃらんぽらんというわけではないですよ^^;)。
ひょっとしたらその子どもはとてつもなく優秀な人材になるかもしれない。でも親がそんな状態では育つものも育たないため、結局親と同じようなちゃらんぽらんな大人になってしまうかもしれないのです。

今、待機児童が問題になっています。
本来家の外で働くワーキングマザーを支援するための保育園だったはずが、最近は家の中で働く母親でも通園できています。
義務ではないはずの就学前の子どもたちはほとんど保育園や幼稚園へ通っています。

ここからは私の持論ですが、いっそのこと幼稚園を義務化してしまえば良いと思うのです。

前述のとおり、最近は小学校1年生の時点で読み書きが出来る子どもが増えていて、そうでない子どもとの差ができてしまっています。義務化すれば、小学校に入った時の知識レベルのスタートラインは皆同じですよね。

また、義務化の利点として、虐待等を防ぐ効果もあります。
最近、1年生になっても何の連絡も取れず本人にも会えず・・・・と、実はすでに殺害・遺棄されていたという事件もありました。幼稚園から義務化すれば、もっと早い段階でメスを入れることが出来ます。

そして、義務教育ですから待機児童問題も解消されます。

では、現在問題となっている幼稚園と保育園(+認定こども園)、幼稚園教諭と保育士の存在意義・住み分けはどうするのか?
小学校云々のことから分かるとおり、教育を求めて良いと思います。ですから、幼稚園に一元化、あるいは小学校・中学校に倣って「幼児学校」にするとか。省庁は当然文部科学省になります。
となると、幼稚園教諭と保育士は幼稚園教諭に一本化ですかね。現在、認定こども園では両方の資格を持つことが望ましいとされていますので、この資格や分野を学ぶ段階で保育と幼児教育と両方についてしっかり学べば良いのです。

一方、学校はあくまで教育機関ですので0歳児には意味がありません。
3歳未満はそれこそ親の経済状態や生活状況で必要なら託児所(それを保育所にしても良いですよね)へ預ければ良い。現在の幼稚園や保育園のように親の就労の有無や所得は一切関係なく、あくまでその親にとって必要かどうかが判断基準というわけです。

もしも幼保の完全一元化と義務化が実施されるなら、現在抱える様々な問題はすぐにクリアできます。
社会全体で子育てを支援することが真の意味で実現します。
平沼氏の主張するとおり、幼児教育を義務化(→強化)できるなら確実にこれからの日本の国力アップにもつながっていくんですけどね。



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「いただきます」の意味

私たち日本人の多くは、食事の前に「いただきます」と手を合わせる習慣があります。
これは、物心ついたときには自然に身についているほど、身近な習慣です。
では、この「いただきます」と言う言葉、皆さまはいったい誰に対して言う言葉として教えられてきたでしょうか?また、子どもさんたちに教えていらっしゃいますか?

私の子供時代、小学校のクラス担任から「いただきます」の前に、「お父さん、お母さん、ありがとう。給食のおばさん、ありがとう。いただきます」と言いなさい、と指導され、その担任の年は給食の前に必ず言う言葉として定着していました。
今では、この担任が子どもたちへの教育として一番大切なことが抜けていることがよく分かります。
一番大切なこと、それは食材に対する感謝です。
私たちはたとえ菜食主義者でも必ず何かの命をいただいています。そのことに対する感謝が一番にこなくてはいけません。
マカオ等の市場では、生きた鶏が売られています。客はその生きた鶏を買って、家で捌きます。市場の様子をテレビなどで見ると、たいていの日本人は「げ、そのまま売ってるんだ・・・・」と思っているでしょう。
モンゴルの遊牧民は、馬を家族のように大切にしています。そして、弱って動けなくなったり死んでしまったら食します。
現代日本にいる私たちは、スーパーですでに小分けされたパックにある肉を買います。
以前、テレビか何かで聞いた(見た?)話ですが、そのモンゴルの方が「家族のように大切だからこそ、自分たちだけで食べるんだ。日本人はすでに捌いて肉になった状態をラップで巻いて見える状態で売っているけれど驚いた。もしも、自分が大切に思っている人が死んだら食べなくてはいけないとしたら、その人の身体を切って見せながら売ることなんかできますか?絶対に誰にも見せないでしょう。そんなこと、とてもできないから、誰にも見せずに自分たちだけで食べるんだ」と言っていました。これを聞いたとき、私は心の底からこの言葉に納得し、自分の考えの甘さを泣きそうなほどに痛感しました。
私たちが普段スーパーで買っている肉や野菜は、必ず誰かが育てたもので、それを加工する人がいます。日本人はその部分をできるだけ見ないように、考えないようにしている節があります。もっと言うと、その仕事を蔑んでいるきらいがあります。「えーそんなこと絶対できなーい!残酷~」というような言葉が聞こえてきそうです。でも、そのようなことを言う人が最も残酷ですよね。加工する仕事をする人がいなければ、私たちは何も食べられないのです。野菜だって同じです。

「いただきます」という言葉は元は仏教から来た言葉で、当然生きとし生けるものすべてのいのちへの感謝とそれによって私たちが生かされていることへの認識が含まれています。しかし、時代の流れとともにどんどん簡略化され、結果としてその意味までも簡略化されてしまいました。学校の先生が分かっていないくらいですから。

私たち人間が生態系のトップにいる以上、何をするにも必ず何かの命がその下に広がっています。
料理してくれる人への感謝はもちろん忘れてはいけませんが、その前には本当なら自由にもっと長く生きているはずの命があり、それを加工する人がいて、そしてようやく料理する人の前に届くのです。料理する人への感謝は最後で、もっともっと感謝すべき相手がいるということを常に意識しなくてはいけません。

命を奪うことで私たち人間は生きているのだから、その命への「感謝」は絶対に忘れてはいけないことです。



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野球を通じた教育

毎日暑いですね。
高校野球に世界陸上、忙しい毎日を送っている山村です(笑)

世界陸上の女子マラソン、福士選手に木崎選手はがんばりましたね!
私の「走った距離は裏切らない」という座右の銘をいただいた野口選手は本当に残念でした。アテネで金メダルを獲ってからというもの、毎年駅伝等で応援していましたがなかなか不調から抜け出せず、ようやく・・・という状態だったのに。真面目な彼女の性格を考えると、今回の大会の結果によっておそらくこれで引退を考えているのではないでしょうか。本当はもっと良い形での引退が望ましかったと思いますが・・・。今後どのような選択をするかは彼女にしか分かりませんが、この大会については、本当にお疲れ様でした。無理をせず、ゆっくり休養してほしいです。

ところで、私はプロ野球には全く興味がありませんが、いつも書いている通り高校野球は大好きです。このような人は多いですよね。それだけに、私は、監督自身の社会性のなさと監督が自己の将来のことばかり優先して選手の社会性を育てることをないがしろにしていることについて散々批判してきました。
それが、今回初めてそうでない監督を甲子園という舞台で見ることが出来ました。
大会3日目の奈良県立桜井高校の監督です。
高校紹介では、今までにない部の方針だったので結構衝撃的で、観戦していた人にとっては印象深かったのではないでしょうか。

「他尊自信」
「他人の失敗を喜ばない」
「勝ってもガッツポーズはしない」
「負けても悔しがらない」
「試合では自分たちで考える」
「甲子園の土は持って帰らない」
               ・・・・こんな感じでしたかね。

実際甲子園の土は中国の土ですしね。
点を獲っても能面のような無表情でベンチに帰ってくる選手はなんとも不思議でしたが・・・(笑)
素直に喜ぶ気持ちを抑えることが良いかどうかはさておき、監督の「野球を通じて教育をする」という方針には本当に感心しました。そして、選手たちもしっかりその教えを受け止めているという姿勢が見て取れたことも良かったですね。

以前も書いたことですが、本来なら、甲子園まで来るような高校の野球部というと、学校の担任よりも親よりもずっと監督の方が一緒に居る時間が長かったりしますので、その監督こそに選手たちの社会性を育てる責任があります。それだけ多感な10代の選手たちに与える影響は大きいということです。
私個人としては、たしかに勉強だけが全てではないと思っていますし、1つでも何か秀でているものを持っているならそれをとことん伸ばすことに人生をかけて良いと思っています。むしろ、そういう時期がある人間の方が豊かな人生を歩んでいる気がします。ただし、それだけできていれば他は何もする必要がないのかといえばそうではなくて、社会で生きていくうえで必要なことはしっかり身につける必要があります。それができていないから、高校球児に不祥事が絶えないのです(最近は元高校球児の犯罪もありましたね・・・)。

他の全国の野球部監督だけでなくあらゆる運動部監督も、ぜひ桜井高校野球部の教えを参考に、選手にしっかり背中を見せられる大人として接していただきたいものです。



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プロフィール

山村福ノ助

Author:山村福ノ助
社会福祉士・精神保健福祉士有資格。現場から少し離れたことによっていろいろなことが見えてきました。

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